「はじめに」を読む(3)

 「…ロゴセラピーの根本概念である意味志向性、すなわち人間が意味や価値の世界へと方向づけられ秩序づけられていることが、その当人の健康と比例しているということを証明することができた。…感覚遮断実験の過程で出現する幻覚は、単なる感覚情報の伝達によっては決して回避されず、ただもっぱら正しい意味関連の回復によってのみ回避される…。」(p.12)

 

 かねてから、「生きる意味」とか「意味への意志」などの場合の「意味」と「言葉の意味」のような場合の「意味」はレベルというか次元が違うような気がしていたが、ここを読んで、「意味」の意味は共通であり連続的であることが分かった。

 感覚遮断の実験では、感覚刺激を全く遮断することはできないので刺激のパターンをなくす、つまり意味をなくす。感覚遮断実験は、大学院生時代の主要研究テーマだったので懐かしい。

 

 「意味」の意味は共通なのだが「精神次元」の問題を扱うのか「心理・身体」次元の問題なのかによって意味の次元も異なるのである。フランクルの「意味への意志(der Wille zum Sinn)」は精神次元の問題だし、F.C. バートレットの「意味への努力(effort

after meaning)」は心理次元の問題である。