第1章を読む(3)

(P.28)シェーラーは、個人心理学は立身出世主義者にしか妥当しないと指摘した。そこまでは言わないとしても、個人心理学は「他人から認められようとする努力」がすべてのように考えているが、多くの人はむしろ何らかの形で自己を永遠化しようとする努力によって魂を鼓舞される。

「快楽への意志」を言う「深層心理学」だけでなく、「意味への意志」を見る「高層心理学」が必要ではないか。

心的現実について、精神分析は因果性の観点から「必然」の、個人心理学は目的性の観点から「意欲」のカテゴリーで見ているが、新たに「当為」というカテゴリーが付け加えられるべきではないか。ゲーテの言う「・・・彼らがあるべきところのもの・・・彼らが進むべきところに向かって・・・」という観点である。

精神分析は個人の衝動を外界の現実に適応させようとし、個人心理学は単なる適応を超えて現実を形成することを求める。しかし、人間の、身体的―心理的―精神的現実という全体像をカバーするためには「適応」と「形成」に加えて「充足」という第三のカテゴリーが必要である。

9月は以上32ページ7行目までを読んだ。