第1章を読む(7)

新年読み初めは、45~47ページを読んだ。

精神的形成物や文化的作品が、心理学的、生物学的、社会学的に何らかの制約を受けることはあるとしても、このような制約性は、それらの精神的業績の本質的内容を説明するものではない。また個人的な世界像の形成に関しては、シェーラーは人間の個性は彼の世界像の選択に影響することはあっても、その世界像の中身にまでは届かないことを示した。天体観測で「個人方程式」のような制約はあるとしても、例えばシリウス星が実際に存在することは誰も疑わない。だから、精神療法は世界観の問題には権限を持たない。精神療法は、真理内容の問題や精神的形成物の問題には無力なのである。

それゆえ、精神療法の内部においても心理学主義は或るものによって克服されなければならない。或るものとは、ロゴセラピーである。ロゴセラピーこそ「精神的なものからの精神療法」に課した使命を担うものである。《その使命とは、…あの「空席」を満たすことである。》(p.46)ここでたしか以前「空席」という表現があったと皆で探す。あった!33ページ、《…精神療法の学問的領域における空席…、満たされることを待ちわびている空席…従来の精神療法を、ある精神療法的方法によって補完する必要性…》これである。《ロゴセラピーは精神療法を補完すべきものであり、補完しうるものなのである。》(p.46《…精神的なものは心理的なものから区別されなければならない。…心理学主義の誤りは、恣意的に一方の平面から他の平面に移動することにある…概念の混同を避けること…心理学主義を克服することが…ロゴセラピーの企図であり本来の関心なのである。》(p.47)

以上で「3心理学主義の克服」を読み終えた。