第1章を読む(10)

4月のフリー学習では、59~61ページを読んだ。

 フロイトは「低い小屋」と表現しているが、低次元、高次元といってもそこに価値の序列や価値判断が含まれているわけではない。次元的存在論で「高次の次元」というとき、それはより包括的な次元ということであり、そこには低次の次元が含まれている。低次の次元は、高次の次元のうちで「止揚されて」いるのである。

 しかし、科学は ただ一つの次元しか持たない現実に関わっているかのように研究をすすめる。

 次元的存在論の第2の法則を人間に適用してみる。三次元の物体を二次元に投影するように、ある人物を精神医学の平面に投影するとしよう。すると、たとえば、 ドストエフスキーはてんかん患者、スービル―は幻想をともなったヒステリー患者でしかない。芸術的な業績や宗教的な出会いは、精神医学の平面の外部にあるものだからである。《精神医学の平面の内部では、すべてのものは、それらの背後に、それらを超えてあるであろう他の何ものかを見透さないかぎり、多義的なままであり続けるのである》(p.61

 だから病理学で第一に必要なことは、苦悩が有する意味を見通す診断であり、症候学で第一に必要なことは、病因の診断である。《病因が多元的である程度に応じて、症候学もそれだけ多元的になるのである。》(p.61) 4月は以上61ページまでを読んだ。