5月のフリー学習では、62ページから64ページまでを読んだ。
第1章6 心理学主義の心理的発生因
心理学主義はどうして発生するのか、その動機を心理学的に検討する。先ず心理学主義の根本的態度は何かといえば、それは価値を貶める傾向である。つまり、さまざまな心の働きがもつ精神的内容の価値を貶める傾向である。精神的内容の仮面を剝ごうとし、正体を暴露しようとし、本質的ではない神経症的動機を探そうとする。《…たとえば宗教的、芸術的さらには学問的といった領域におけるあらゆる妥当性の問題を、内容の領域から行動の領域へと逃避することによって避けてしまうのである。》(p.64)つまり、それらがどのような妥当性(価値、有効性)をもつのかという問題の内容の領域への問いから、どのような心理メカニズム(神経症的動機)から生まれたのかという行為の領域への問いに逃避するのである。
心理学主義では、芸術は人生や愛からの逃避「にすぎない」し、宗教は宇宙の威力に対する原始人の恐怖「にすぎない」。偉大な精神的創造者たちも、神経症や精神病質の人として片づけられる。ゲーテも「ほんとうはただの」神経症患者「にすぎなかったのだ」と。この辺りまでは、フロイトの精神分析を念頭に納得しながら読んできたが、次に「個人心理学」も槍玉に挙げられている。《個人心理学は勇気を説く。しかし、それは、謙虚さというものを忘れているように思われる。》(p.63)「勇気」と「謙虚さ」?《その謙虚さとは、世界における精神的創造物に対する謙虚さであり、それ自身が独自な世界をもっている精神的なものに対する謙虚さである。》(p.63)
そこで手元にあるアドラーをめくってみる。《…われわれの文化においては、勇気ある人だけがよい結果と人生の利点を得るというふうに仕組まれているからである。》(A.アドラー、岸見一郎訳 個人心理学講義-生きることの科学 アルテ 2022 p.85)
確かに「勇気」を説いてはいるが、精神的創造物に対する「謙虚さ」を忘れているというのはどういうことか。アドラーは、上掲書の結論でこう述べている。《個人心理学の方法は、劣等感の問題に始まり、劣等感の問題に終わる…劣等感は、人間の努力と成功の基礎である。》(p.166) 精神的創造物を「劣等感」のような心理次元の働きの成果「にすぎない」と片付けるなら、それは上述の「価値を貶める傾向」であり、「内容の領域から行為の領域への逃避」である。これを「謙虚さ」を忘れていると、「勇気(Mut)」と「謙虚さ(Demut)」を対置して洒落たのではないか。
「仮面を剥ぐ」心理療法で重要なのは判断ではなく、有罪の判決を下すことなのである。《したがって心理学主義は、価値を貶めようとする意図の手段である。》(p.64)
19世紀末から20世紀初めにかけて、人間像は歪められ、生物学的、心理学的、社会学的制約に対して無力であるという印象を与えられてしまい、これら制約対して人間が本来持っている自由が見過ごされている。だから反動として、人間存在の根本的な事実、自然の制約に対しての自由を省みる呼びかけが起こったのである。意識存在とともにもう一方の根本事実である責任存在が再び関心の中心になった。《こうしてヤスパースは、人間の存在を「決断する」存在と呼び、ただ単に「ある」のではなく、「彼が本質的にあるところのもの」をそのつど新たに決断する存在としたのである。》(p.64)
5月は以上64ページまでを読んだ。